【第五人格スピンオフ小説】八夜談ーピンクのベールー

2022-03-01

八夜談ーピンクのベールー

 

1

フィリップと知り合ったのは列車の中だった。

向かいの席に座っていた彼は、やや古めかしいグレーの毛織りのスーツを着ていた。私が最初に視線を向けたのは彼の顔ではなく、朝刊を持っている手の方だった。その手は人並み以上に大きく、北方に咲く椿のように鮮やかな血色をしていた。

優秀な蝋人形師の手だ。蝋彫刻を学ぶ私は一目でそれが分かった。

 

フィリップは帰郷の途中だと話してくれた。

最近、彼は骨相学研究の論文集を発表し、それと同時に彼の作品の巡回展を開いていたのだ。彼の作った蝋人形の数々は驚きと感動を与え、人々を魅了した。私もまた、彼のファンの一人だった。

「だけど今回は途中で巡回展を中止したんだ。妹が病気に罹ってしまったと電報が来たんだよ……」彼は帰郷の理由を話しはじめた。「私が戻るまで、ホームドクターが面倒を見てくれているとは思うんだがね。彼女はいつも薬草茶は苦いと言って嫌がるんだ……」

「もしかしたら、妹さんは病気じゃないのかもしれません。」私は蜂蜜水を飲みたいがために仮病を使っていた姉のことを思い出してそう言った。「あなたに会いたくて、嘘をついてるのかもしれませんよ」

 

それから私たちは長い間、談笑した。どうやら彼自身も、妹のいたずらかもしれないと思っていたようだ。

 

2

三ヶ月後、私は叔父一家に別れを告げ、上級弟子としてフィリップの蝋人形工房に入門した。

フィリップはまだ喪服を着ていた——妹の事件は街全体を震撼させた。三ヶ月経った今でも、人々に噂されるくらいだ。急いで家に帰って蝋がいっぱいに注がれた浴槽の中に妹を見つけたフィリップは、どんな表情を浮かべたのだろうか。

犯人は未だ捕まっておらず、街の人はいまだに気が立っている。郊外に逃げたという噂もあった。何はともあれ、関係のない少女を手にかけ、溶けた蝋の中に突っ込んで無残にも窒息死させた上、妹を騙って遠方のフィリップへと電報を送り、彼を家におびき寄せてその惨状を見せるような極悪人がまだどこかに潜んでいるのだ……

私がギャラリーに到着したとき、ちょうど一人の貴族が予約していた蝋人形を取りに来ていて、従者が木の箱に蝋人形を収めていた。客人はフィリップに哀悼の言葉を述べ、ギャラリーを後にした。

 

私と四人の弟子たちはギャラリー奥の工房内に住んでいた。二階が居住スペースで、一階が工房になっているのだ。フィリップは一階で私たちの仕事ぶりを見ていたが、二階に来ることはなかった。

そして、これは私の勘違いかもしれないが、フィリップは私に格別よくしてくれた。彼が言うには、自分は旧交を重んじる人だそうだ。

「もう六ヶ月も経ちましたよ、まだ喪服ですか」私は注意した。

彼は腰を屈めたまま、蝋人形の鼻の角度を調整しながら答えた。「私が喪服を着ていると、落ち着かないかな?」

喪服については、弟子たちだけでなく一部の客人たちも噂をしていた。元々彫りの深い容貌に漆黒の喪服をまとったその姿は、もしも深夜に見かけたら、きっと蝋人形が動いたと思ってしまうことだろう。

そう、フィリップは深夜に工房を訪れていた。

 

ほとんどの蝋人形の加工は昼間に弟子たちが行う。一方、フィリップは深夜に一人で工房に来て、奥の部屋で夜遅くまで貴族たちの秘密のオーダーメイド作品を作るのだ。

私はオーダーメイド作品について尋ねたことがあった。その時、フィリップは私に微笑みかけ、彫刻刀に残った蝋くずを拭いながらこう答えた。「私たちの生活の糧となるもので、価値ある物さ。どれも貴族が好むコレクションだよ……。しかし、人に見せると面倒なことになりかねない。分かるだろう? そういうものは、往々にして風俗法や宗教法のグレーゾーンに位置している。私も宗教法廷にはお世話になりたくないからね。」

聖女とグリフォンの一夜限りの火遊びだろうか?それとも道化師が国王に跨がっているとか?私は思わずそんな風に想像を膨らませた。

 

その後とある弟子が好奇心に駆られ、箱にかけられた錠をこっそりとこじ開けた。

恐れ慄いた若者はガタガタと震えながら一夜を過ごし、二日目には荷物をまとめてギャラリーを出て行ってしまったからだ。彼が何を見たかは誰も知る由もなかった。

 

3

たった一人、オーダーメイドの蝋人形を公開した客人が現れた。その爵位持ちの男性は、自身の領土のとある城に蝋人形を展示したのだ。十二人一組のそれは、これまでのフィリップの繊細な作風とは全く異なるものだった。

それは苦しみに耐えきれず、死を求める絶望的な人間の表情だ。

フィリップ以外、このような傑作を生み出せる天才蝋人形師がいることは想像できない。

フィリップはこの作品群を「罪人」と命名していた。蝋人形一つ一つに、深い業が感じられる。彼曰く、骨相学研究の成果を多く取り入れているそうだ——人が犯罪を犯すかどうかは先天的に決まっていて、頭蓋骨の比率を測ることで予測できるというのだ。

私は好奇心が抑えきれず、彼の制作過程を盗み見したくなった。フィリップは奥の部屋に弟子を入れたことはない。なので、私は彼が部屋に入った後に、鍵穴から窺い見るしかなかった。

しかし、ぼやけて何も見えない。あえて言うなら、暗紅色の充血した眼球のような物が、部屋の内側の鍵穴に貼り付いていて、こちら側を睨みつけているように見えた。

 

あの蝋人形の作品群が公開されて以降、フィリップはますます部屋に籠もるようになった。彼を取り巻く非難は多く、教会はそれらの作品を悪魔の産物だと評した。

王室は短期間に代替わりし、人々も新旧の法律に振り回されていた。もしも古い風俗法が息を吹き返せば、フィリップは本当に火あぶりの刑にされてしまうだろう。

「その時は私が死刑となる様子を、側でデッサンでもして記録してくれ。」彼はまだ冗談を言う余裕があるようだった。「きっと良いデビュー作になって、君の名は方々に知れ渡るだろう。」

 

その年、私は工房と彼の自宅間の連絡係となり、彼に代わって対外的な連絡も取るようになった。彼は未だに喪服のままで、邸宅中が黒いベールで覆われていた。

隠居を続ける日々の中で、彼は随分と元気になったような気がする。かつてこの邸宅は多くの暴徒に囲まれたことがあった。暴徒は彼と彼の妹を「メイドの私生児」であり、「乱倫の悪徒」だと騒ぎ立てた……ガラス窓は毎日のように弾弓で割られた。

その悪夢のような日々は一年ほど続き、そしてこの街はようやく秩序を取り戻した。

私はこの情報をフィリップに伝えたが、彼は客間で鉛筆デッサンを続けており、その目はまるで炎のように、一層輝きを増していた。「蝋の鍋を温めてくれ。罪人シリーズの新しいインスピレーションが湧いた——ピンクの罪人だ。」

そのデザイン案に目をやると、たくさんの人間が紙の上で必死にもがいていた。ピンク色の溶けた蝋が彼らの毛深い皮膚を覆い、全身をなめらかにコーティングしている。

 

私はふと、フィリップの小さな復讐心に気がついた——そしてずっと喪服を着続けている掴み所のないこの師匠が、なぜだか可愛く見えてきたのだ。

 

4

新任の市長はフィリップの支持者で、多くの作品を購入していた。彼は自らフィリップの下を訪れ、街の庭園舞踏会の装飾について、ギャラリーの協力を求めてきた。

「この街の犯罪率は、ようやく今年これまでで一番低くなりました。実に9割も減ったんです。ですから夜間の外出禁止令を解除して、もう一度夜の舞踏会を開こうと思っているんです……」彼は公園の地図をフィリップに見せながら続けた。「市は30体の蝋人形を予約する予定です。どうでしょう、古代ギリシャの海洋の歴史をテーマにするというのは?」

「それかヒロイズムはどうでしょうか。」フィリップは微笑みながら同調し、契約書にサインをした。

「素晴らしい!ヒロイズムですか。プロメテウスやアポロンなどのことですね……」

「ただ手付金はお高くなりますよ。アポロンの戦車には金の蝋を使いますので……」

 

はっきり言おう。どの蝋人形工房も、こんなにも巨額な手付金を受け取ったことはないだろう——結果、私たちは古代ギリシャの英雄の蝋人形60体の注文を受けた。全てが等身大の2倍の大きさの、巨大な蝋人形だ……

弟子たちは皆興奮した。そして師匠だけが、いつも通り蝋人形のような表情で、デザイン案を調整していた。

 

あれは本当に狂ったような夜だった。住民の大半が舞踏会会場に集まり、巨大な蝋人形たちを取り囲んでいた。それから巡回のため馬に乗って会場に入った警官も、誰もが思わずその高さを確認しようと蝋人形のてっぺんに目をやった。

近頃、犯罪率の急低下に困惑している警官たちは、この熱気に満ちた舞踏会会場で逃亡犯を捕まえようとしているようだった。

 

しかし、私はその賑やかさとは無関係だった。街が空っぽになっているこの機に乗じて、あることをしたいと思っていたからだ。ずっとやりたかったが勇気の出なかったことを。カクテルが、香水が、花火が、あの奥の部屋に対する私の憧れを刺激する——

 

私は部屋へと侵入し、師匠がどのようにして世間をあっと言わせる作品を作り上げているのか、この目で確かめることにした。

 

5

材料棚の中は狭かった。ローズオイル、亜硝酸塩、水銀……

夜半、アルコールに溺れた意識をどうにか保ち続けて、私は材料棚の中に身を隠してフィリップが部屋に入ってくるのを待っていた。

私は酔っていた。でなければ、こんな馬鹿な決断はできなかっただろう。しかし、もし彼が街中の興奮した連中と同じように、一晩中飲み明かすと決めてここに帰らなかったらどうしよう?

——その不安は長くは続かなかった。鍵の音が聞こえ、喪服の男が帰ってきた。

 

ただ、彼は一人ではなかった。

フィリップはとある男を支えながら入ってくる。その男は飲み過ぎたようで、泥のように酔い、半ば引きずられるようにして部屋の敷居をまたいだ。

友人だろうか?しかし、フィリップは彼を床に放ると、蝋の鍋の下にある薪に火をつけはじめた。白い蝋が瞬く間にぐつぐつと沸騰する。煮えたぎった熱湯のような泡ではないものの、水よりもはるかに熱いことは蝋人形師なら誰もが知っている。

私は呼吸を荒くしながら、材料棚の隙間に近づき、もっとはっきりと見ようとする——彼はどうやってあれらの作品を作り出しているのだろう?あの生死の狭間にある、完璧な絶望の表情を。

 

その時、フィリップは床に転がっている酔っ払いを引っ張り起こした。見間違いだろうか?もしかしたら私も酔っているのかもしれない——彼はその男を作業台に固定し、彼の身体に蝋を吹きかけて形を決めはじめた。彼の身体は瞬く間に一層また一層と厚い蝋の殻に包まれ、布団の中に埋まったようにも見えた。

アルコールは麻酔薬だ。しかし完璧には効かない。皮膚を切り裂くとき、身体がビクリと跳ね上がる。しかし彼の関節は全て固定され、身体を包んだ蝋もすでに固まりはじめていた。

悲痛な叫びが分厚いピンク色の蝋の下に押しとどめられる。体温を帯びた血液が三本の管を通して排出されると、蝋が瞬く間に彼の血管と内臓を巡っていく。

炎が煌々と燃え盛る中、フィリップは私が材料棚から飛び出し、逃げ出す様子を笑いながら見ていた。作業台の上の男の表情は死ぬ間際の状態で完璧に保存されていた。

 

私は工房を飛び出し、助けを呼んだが誰からも相手にされなかった。街全体が狂喜に包まれ、カクテルの甘い匂いがそこら中に立ちこめている。

そして、アルコールがさらに火を生む——街の公園は失火した。酔った人々は蝋人形に火をつけ、数十体の蝋人形は巨大な火柱となり、夜空を飲み込んだ。

炎の中、蝋人形たちは次第に溶けていった。中に隠されていた人間の骸骨がピンク色の蝋を纏って現れ、やがてバタリと倒れた。